若年性認知症の方との関り(7)【認知症ケア黎明期】

当時私が勤めていた特別養護老人ホームには日本でも2~3番目に作られた、認知症高齢者専用フロアがありました。
もちろん、大阪ではここだけでした。
そこでS市はAさんの入所を頼み込んできたということになります。

この法人の当時の理事長は先駆的な考えの持ち主で、厚労省とも渡り合う人物でもあり、
現在ある介護保険制度サービスのベースをさきがけてきた人でした。
デイサービスやショートステイ、ナイトケア、認知症デイ、ホームヘルパーなど、
まさしく今ある高齢者サービスのスタイルを作った人でもありました。
陸軍中野学校(スパイ養成学校)出身のこの理事長は、職員に対しても厳しかったのですが、
常に高齢者に向いた考えを持つことを、私たちも鍛え上げられたとも言えます。
そして、認知症高齢者専用フロアも先進的に造られたのでした。

若年性認知症の方の関り

認知症専用フロアがあった施設 法人HPより

ただ、認知症の方への取り組みが先進的になったのは、
この地域の保健師やボランティアたちの認知症の方への取り組みが熱心だったということもあります。

当時は認知症で様々な症状が出ると、精神科の病院へ入院させられる状況でした。
そして薬漬けとなり、拘束されて亡くなっていったのです。

それはあまりにも酷い、何とか老人ホームで人間らしい生活を送らせてあげたいと、
当時の地元保健師が直談判に来られ、呼応した理事長の下、このホームでの認知症の人の受け入れがスタートしたのです。
今でも最初に来られた方の名前も顔もよく覚えています。
私たちケア職員にとっても未知の領域のケアが始まったのです。

まだ専用フロアがない時代、一般フロアしかない特別養護老人ホームに
堰を切ったかのように認知症の人の入所が始まったのです。

さて数年後に専用フロアが出来るまでの間の認知症の人へのケアは、今から振り返っても本当に凄いものでした。
出入口がロックされているわけではないので、皆さんいくらでも出て行かれます。
その都度私は一緒について行って、2時間でも3時間でもに街を彷徨うのです。(もちろん、携帯電話なんてありません!)

若年性認知症の方との関り

この辺りのことを書きだすと、めちゃくちゃ長くなるので、年数を少し進め、
認知症高齢者専用フロアが出来、そしてAさんが入所してきたところまで話を戻さなければなりません。

S市からの「収容依頼書」そして電話は切迫した状況を訴えるものでした。

当時私は生活相談員として、入所の受け入れを担当していました。
施設長との相談の上、S市において年齢が55歳であっても特養該当者として認めていることもあり、
緊急性もあるのでAさんの入所が速やかに決定されたのです。

(つづく)

センター長の石川でした