いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう

センター長の石川です。
今日は、硬派の話になります。
長くなりますが、意見提言として読んでいただければと思います。

「認知症高齢者の日常生活自立度判定基準」と言うのがあることは皆さんご存知ですよね。
特に専門職は、把握しておかなければならない基準です。

関わる認知症の人がどの程度の認知症の状態なのかを把握するためにも必要になってきます。
ですから私たちは、ケアする認知症の人が、大体どのくらいの認知症状で、その方の生活の不具合がどれだけ進行しているのかを確認しておく必要があります。

いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう

認知症高齢者の日常生活自立度判定基準

このように、その人の認知症の度合いをみるために使われていますが、
基準の右欄「判断にあたっての留意事項~」の欄を読めばわかるように、
まずは、基本として在宅でどこまで支えていける状態であるのか、
まさしく「日常生活の自立度のための判定基準」なのです。
ここではⅢbまでは、在宅生活が基本と書かれています。

この判定基準を、認知症の重症度だけを見るものという間違った見方をしないようにしてください。

いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう

捉え方を間違うと、恐ろしい黒雲が襲ってきます

しかしながら、何故認知症の重症度を見るものと思ってしまうのかと言うと、
基準の「みられる症状・行動の例」に問題があるからかもしれません。

あえて言わせてもらうと、「いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう」と思うのです。
「どれだけ大変な人かを計測する指標」みたいに思ってしまうのです。

例えば、見られる症状・行動の例(Ⅲa)では、「着替え、食事、排便、排尿が上手にできない、時間がかかる。やたらに物を口に入れる、物を拾い集める、徘徊、失禁、大声・奇声をあげる、火の不始末、不潔行為、性的異常行為等」という文言があります。

これは明らかに認知症の人を一人の人として敬意を表さない、私たち側からの上から視点の捉え方と言えます。
まるで犯罪履歴でも読むかのようなこの文言の列挙には不快感を覚えます。

また、ここに書かれている行動の多くは、周囲の人たちの影響にも左右されるものです。
ここは重要なポイントです。
私たち側に問題があるかもしれないのに、私たちが大変な目に合う行動だからと、全てを本人に擦り付けているのです。

これを認知症の人から見たらどう思われるでしょうか?
もし私がⅢaに該当するのなら、「Ⅲaの大変な認知症の人」というレッテルを貼られるのでしょうか。
いつまでたっても認知症の人を蔑む視点が消えていないと言えるのではないでしょうか。

いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう

読み方を間違えないよう、正しく基準を理解しましょう。

出来ないこと、やれないこと、困った行動の列挙ではなく、
やれること、出来ること、わかっていることを拾い上げて、
出来る限りその方の自立を助けていくことが、本当の自立度ではないでしょうか。

ネガティブな見方の基準からポジティブな見方の基準へと捉え方を変えていく時期ではないかと思うのです。

因みに医師と調査員とが全く違うマーキングをすることが多々あります。
調査員がⅢaと思っているのに医師がⅠと判断したり、医師がⅣ、調査員がⅠなどという判断の食い違いは多々あります。

私たちはこの「認知症高齢者の日常生活自立度判定基準」を指標として把握しながらも、
決してそれがその人の全てではないということを頭に入れて、
その方の状況をしっかりと見てください。
つまり、正しく理解するということです。

いつまで私たち視点(或いは上から視点)で認知症の人を見るのだろう

皆さんの温かいハートが認知症の人を支えます。

そして目の前の認知症の人を一人の人として敬意を示し、
視点を「認知症で大変な人」ではなくて
「認知症はあるけれど、色々な可能性がまだまだ一杯残っているひとりの人」という視点で捉えれば、
様々な症状・行動も減少していくと思うのです。

それこそが、ケアワークに関わる者の真骨頂と言えるのではないでしょうか。

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